東日本大震災

2011年10月21日 (金)

南三陸に行ってきた

 18日(火)は日帰りで宮城県の南三陸町へ行ってきた。ボランティア活動をしているWanpaku Dreamのお手伝い。Wanpaku Dreamは南三陸町の歌津で自転車に関する支援を行なっている団体だ。詳しくはホームページを見ていただきたい。

Wanpaku_link
Wanpaku Dream
http://www.wanpakudream.com/

Minamisanriku01 この日は同行者と二人でクルマに乗って出発し、南三陸に着いたのは朝。プレハブのファミリーマートに寄って買い物。

Minamisanriku03 南三陸町の防災対策庁舎に立ち寄る。津波が襲う直前まで避難の放送をし続けた職員が津波の犠牲になってしまったという、テレビなどで大きく取り上げられた施設だ。

Minamisanriku02 入り口があった場所には献花台が設けられていた。僕たちもお線香を上げて手を合わせてきた。

Utatsu03 歌津に到着。ここも津波の被害に遭っている。がれきの除去はだいぶ進んでいるが、まだ少し残っている。

 こちらでは津波で流された店舗のあった場所に新しくプレハブの店舗を構えたご主人がいらっしゃった。今回お会いした地元の方はとても明るく元気なのが印象的だった。

Tatsugane02 景色が素晴らしいという、田束山(たつがねさん)に登ってみた。頂上のすぐ下までクルマで行ける。駐車場からは徒歩。道には地震の大きな爪痕が残されたままになっていた。

Tatsugane01
 田束山の展望台に到着!天気がよく、海もよく見える。いい眺めだ。リアス式海岸も見通せる。気仙沼は津波で流された部分が白く見えていた。

Tatsugane03_2 この静かで穏やかな海が、眼下にある町を飲み込んだのと同じ海だとはとても思えない。

Hanzi01 一緒に登ったウクレレ奏者のハンサム判治さんが山頂で歌を披露してくれた。

 このときの動画がこちらで見られるので紹介しておこう。

Hanzi02 心にしみる。

 ここ田束山では毎年MTB大会が開かれていたのだが、今年は震災により中止となってしまった。でも来年は開催が決定みたい!僕も開催のお手伝いをしたいと思ってる。

 夕方、歌津中学校で生徒さんたちを集めてWanpaku Dreamによる自転車教室が開かれた。

Utatsu02 プロライダー間宮さんによるデモンストレーション。

Utatsu01 乗車前点検やパンク修理のやり方などを教えてあげた。生徒のみんなはちょっと難しそうな顔してたけど、興味をもって見てくれていた。これを機に、自転車をより大事に使ってくれるといいな。

 
 被災地訪問は6月に次いで2度目だった。今回もいろいろなことを感じた。実際に行かないとわからないことがたくさんある。だから、行ける人は一度、できれば何度でも、被災地に行ってほしいと思う。べつにボランティア活動なんかしなくたってていい。風景を見たり、話を聞いたり、ご飯を食べたり、ちょっと立ち寄って自販機で缶コーヒー買うだけでもいい。まずはありのままの被災地の現状を知ること、それが大事な気がする。現地にあるのは悲惨な風景だけでも、悲しい出来事だけでもない。美しい風景もあるし、明るい笑顔もたくさんある。そんなのをぜーんぶひっくるめて見に行って感じてほしい。いや、全部なんて到底ムリだからその一部だけでも。
 僕もまた機会があったら現地に行こうと思う。

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2011年6月30日 (木)

「オペレーション・クルマの仲間たち」に参加して被災地を視察

 東京から地震で被災した宮城県までをクルマで往復してきた。「オペレーション・クルマの仲間たち」という東日本大震災支援活動にボランティアとして参加させていただいたのだ。
「オペレーション・クルマの仲間たち」はモータージャーナリストの清水和夫さんが中心となって東日本大震災発生後に立ち上げられたもの。これまで、ボランティアのお医者さんたちが被災者の家々を回って訪問医療を行うための足(=クルマとドライバー)を提供する活動を続けてきた。その活動もこの7月初めで終了を迎えることになり、前線基地を引き払うのに伴い、滞在に必要だった物資と被災地で活躍したクルマを東京に引き上げることになったのだ。僕は清水さんがブログでドライバーを募集しているのを知り、応募したところ、採用されて今回のこの任務を担当することになったのだった。
 

 6月27日月曜日、朝7:30。スタッフの方ともう一人のドライバーと僕の3人でスバル フォレスターに乗り都内を出発。運転を交代しながら東北道をひた走る。福島県内の東北道は5月2日に走って以来だが、道がよくなっているのに気付く。あのときはクルマがボワンッと跳ぶような段差があったのだが、そんな段差はほとんどなくなっていた。どうやって直したのだろうかと思うほどだ。
Drcar04 13:00。東北道を築館ICで下り、前線基地となっていた宮城県栗原市のアパートに到着。

Drcar05駐車場にはホンダのフィットハイブリッドがあった。

Drcar01_2簡易ベッドや水、保存食などをフォレスターとフィットに積む。

 一段落したところで栗原市内のファミレスで昼食。内陸部にあるこのあたりは全く地震の被害などが見当たらない。ごく普通の生活がある。
 昼食後、フォレスターとフィットに分乗し、被災地視察に向かう。女川まで行ってみることにする。
 一般道を南下。登米市のあたりに来ると、ところどころ道が荒れている。降り続く雨で大きな水たまりもあった。こういう道ではフォレスターのようなクルマはとても頼もしい。それ以外に震災の被害らしきものは、お地蔵さんが倒れていたのと、潰れたたくさんのクルマが集積されているのを見かけたくらいだった。
 三陸自動車道に入り、石巻へ南下。スタッフの方の話によればここまで津波は来ていたのだそうだ。ニュースで見た高台の自動車道というのはこの道路だったようだ。道路から平野が見下ろせる。しかしほとんどきれいになっていて、被害を想像するのは難しい。遠くの方にうずたかく積み上げられた瓦礫がわずかに被害を物語っている程度。実際のところは浸水して住めなくなった家もあるのだというが。
 Ishinomaki01 三陸自動車道を下り、石巻市街に入る。ここも以前は瓦礫がいっぱいあったそうだ。しかしその面影はまったくと言っていいほど見当たらない。普通にお店も開いているし、クルマも走っている。少し違うといえば、女川方面から自衛隊の車両が何台もやってきていたこと。みな、復興支援の車両だった。
 写真は「がんばろう!石巻」の大きなメッセージを掲げていたのが印象的だったドコモショップ。

 市街地から離れ仮設住宅が並ぶ一角を見つつ、JR石巻線に沿って女川を目指す。石巻線は石巻-女川間が運行休止中。線路を補修している場面を見かけた。

 少し高台になった場所から下っていくと、突然目の前の風景が変わった。そこに広がっているのは荒廃した灰色の風景。その中に僕らは入っていった。なにか非現実の世界にやってきたかのような、胸を締め付けられるような感覚。テレビなどで見てはいたが、その場所に自らの身を置くというのは全く違う。
 言葉が出ない。

Onagawa03 むき出しになった鉄骨とボロボロの外壁。横倒しになった建物。「旅館」と書かれた建物もあった。津波が来る前は観光客で賑わっていたのだろうか。
 女川港の手前で高台に上がってみた。そこには町立病院があった。さすがにここは被害を免れたのかと思いきや、津波はここまで来たのだという。言われてみれば、この案内板などはへし折れている。津波の高さは想像を絶している。

 駐車場から港の方を見下ろしてみた。その景色をパノラマ合成したのがこの写真。左に見えているのが女川港だ。
Onagawa15
 もう一枚。1枚目の場所よりも少し右の方から見た景色である。正面奥と右奥は高台になっていて、津波に飲まれた家と助かった家との境が見て取れる。
 瓦礫はかなり片付けられているとはいえ、衝撃を受けずにはいられない光景。
Onagawa16
 
 
Onagawa01 ここには街並みがあって、人々の生活があったはずなのだ。それが一瞬にして…。

Onagawa14 僕らは港の方へ行ってみることにした。道路は仮設のものなのか、砂利道でかなりデコボコしている。(写真は反対方向を映したものだが、道路はこういった感じである。)ダンプカーが多く行き来していた。

Onagawa08 港のはずれにクルマを停め、少しだけ歩いてみた。津波に飲まれたクルマがまだこうして残されていた。こういう無残な姿を見るのは心が痛い。

 
 
Onagawa06

Onagawa09

Onagawa13_3

 現地には独特のにおいが漂っている。潮のにおいの他に木や何かの腐ったようなにおいと、何かわからないいろんなにおいが混ざっている。これは現地に行ってみなければ感じられないものだ。

Sanrikudou01 時刻は16:30。帰路につくことにした。三陸自動車道の鳴瀬奥松島ICでは料金所渋滞が発生。被災者は無料で通行できるが許可証を提示しなければならない。そのため一般レーンが渋滞するのだ。僕らも支援車両ということで許可証を提示するために一般レーンに並んだ。三陸自動車道は料金所を出てからもところどころノロノロ渋滞だった。
 23:30、東北道を順調に走行し東京に到着。無事に任務完了。責任を果たせてホッとした。

 わずか一日だったけど、被災地支援活動のお手伝いができてよかった。被災地の現状も部分的ながらも知ることができた。被災地はいま、元の生活を取り戻しつつある場所と、いまだ大きな傷跡を残す場所がある。それを自分の目で確かめたことの意義は大きかったと思う。またスタッフの方からは被害についてや、ボランティアのあり方についてなど、道中いろいろなお話が聞けた。
 地震発生から3ヶ月以上が経ち、求められる支援も変化してきていると思う。自分になにができるのか、今後も考えていきたい。
 
 
■リンク

Facebook|東日本大震災支援活動「オペレーション・クルマの仲間たち」モビリティ21
http://www.facebook.com/m21kurumanonakamatachi

【みんカラ】頑固一徹カズです!|清水和夫公式ブログ
http://minkara.carview.co.jp/userid/360795/blog/

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2011年5月 4日 (水)

福島・栃木をドライブ

 2日の火曜日は仕事が休みだったので、前日になってドライブに行くことに決めた。どうせなら原発事故による風評で観光客が激減してるところへ行こう。現地に少しでもお金を落として来よう。そう思って福島と栃木へ行くことにした。
 突如決めたドライブなので、目的も単純な思いつきで温泉めぐりに。iPhoneのアプリで温泉を検索しながら、3ヶ所ほど回ってきた。

 まず栃木県の那須まで一般道を走り、那須温泉に入湯。次に那須から東北自動車道を走り、福島県の矢吹で下りて一般道を西へ。会津若松の南にある芦ノ牧温泉まで行き、2回目の入湯。南へ下って再び栃木県に入り、塩原温泉で3回目の入湯。GW中は通行無料の日塩もみじラインなどを通って今市へ。宇都宮に出て東北道に乗り、帰ってきた。3つだけじゃなくもっと温泉入って来るつもりだったんだけどな。ま、いっか。(それぞれの温泉については後日レポートしよう。)

 東北道は話に聞いていたとおり、福島県に入ると路面に修復した跡や段差がたくさん見られた。小さいながらも地震の被害を実際に目の当たりにすると、自然のパワーの大きさを思い知らされる。
 また、今回訪れた芦ノ牧温泉などは避難者を受け入れているらしく、避難所を示す案内看板が道路わきに立っているのをいくつか見かけた。一般の観光客が減って収入も減る中で被災者を受け入れるのは大変ではなかろうかと想像する。
 各地の観光客の数は平日だからかもしれないが、GWにしてはやはり少ないようだった。それでも夕方訪れた塩原温泉では旅館の駐車場がクルマでいっぱいになってるのを見て、風評被害もそれほど深刻ではないのかも、と思った。しかし後になって思い返してみると、この日は観光バスをほとんど見かけなかったことに気付いた。団体旅行は多くがキャンセルになってるのかもしれない。外国人も全然いなかったし。日光はどんな感じになってるのだろうか。行かなかったのでわからないが、かなりすいているという話は聞く。
 団体客は減っているかもしれないが、個人客はそれなりに来ているように見受けられた。現地で見かけた車のナンバーは同県内が多く、次いで意外にも東京都内のものが多かった。むしろ埼玉県ナンバーがもっといても良さそうなものなのだが。これが例年のGWと同じ光景なのかどうかはわからない。

Img_03782s6 今回、微々たるものではあるけれど福島と栃木でお金を使ってきた。お昼ごはんを食べ、お土産に福島産のリンゴ(ふじ)とえごま味噌、それにお菓子を買ってきた。東北限定ずんだ味のプリッツは東北で作ってるわけじゃないだろうけど味が気になったので買ってみた。食べてみたらほんのり枝豆の風味がしておいしい。ちなみにずんだ餅のように甘いわけではなかった。

 被災地への義捐金も大切だけど、震災で困ってる地域や人たちのところへ行って直接物を買ったり食べたりするのはいいことだと思う。
 今回は福島や栃木の人のためにっていう思いもあったけど、なにより僕自身が温泉入ったり大好きな車の運転をしたりして楽しかった。こうやって僕が元気になれば相手も元気になるし、それが広がっていけばきっとみんなが元気になるよね。
 だからもっと出かけようよ!みんながみんな、自然に自分の好きなことを楽しめばそれが日本の復興に繋がるんじゃないかな。

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2011年3月25日 (金)

東日本大震災 関連ツイート まとめ

 東日本大震災(一部報道では東北関東大震災という呼称もある)ではツイッターが情報元として大きな役割を担うこととなった。先進国において、大きな危機の中でツイッターが活用されたという意味では、世界初の出来事だったのではないだろうか。

 地震が起こった3月11日。僕は東京の青梅にいて大きな揺れを感じた。でもそのときは、この地震によって甚大な被害が出始めていることは想像だにしなかった。それを知ったのはツイッターのTL(タイムライン)を見てのこと。これは大変なことになったと思った。そしていつのまにか僕のTLは通常ではない、“異常な”ツイートがどんどん流れてくる状態になっていた。
 これは記録しなければ。
 そう思った僕は、TL上で心に引っかかったツイートや“いま”の状況を生々しく伝えるツイートを「お気に入り」に保存することにした。ここで紹介するのはその「お気に入り」に保存したツイートをTogetterというサービスを使ってまとめたものである。保存したものが1日あたり数百ツイートにもおよんでしまい、かなり長いものになっているが、当時の雰囲気が(ある一面にすぎないかもしれないが)伝わるのではないかと思う。
 
 
 
■■ ツイートまとめをご覧いただくにあたって ■■

ここで紹介するツイートは僕(@emusaru)のTL上からピックアップ(「お気に入り」に保存)したものです。
古いツイートが上に、新しいツイートが下に来るように並んでいます。(通常のTLとは順番が逆です。)
個々のツイートに表示されている日時は、ツイートされた日時を表しています。(僕がそのツイートを「お気に入り」に保存した日時ではありません。)
僕の主観でピックアップしているため、ツイートの内容が偏っている可能性があります。
デマなどの誤った情報が含まれている可能性もあります。内容の不確かなツイートもあえてピックアップしている場合があります。ご注意ください。
 
―――
 
■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月11日(金)
 http://togetter.com/li/115961
14:46地震発生/大津波襲来/都心にて交通麻痺による帰宅難民多数/原発事故発生

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月12日(土)
 http://togetter.com/li/115879
日本人の行動が海外から賞賛/原発炉心溶融/ヤシマ作戦/
原発水素爆発/募金活動始まる

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月13日(日)
 http://togetter.com/li/115874
津波警報→注意報→解除/TVが一部で通常番組に戻り始める/
米・パン・ガソリンが不足/明日から計画停電

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月14日(月)
 http://togetter.com/li/115862
週明け/計画停電で混乱/通勤電車大混雑/原発三号機水素爆発/#edano_nero/
「どうぞどうぞ」のウエシマ作戦/原発に海水注入

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月15日(火)
 http://togetter.com/li/115300
福島原発事故対策統合連絡本部立ち上げ/トイレットペーパー買い占め/
原発四号機火災発生/日経平均4桁の大暴落/放射能汚染懸念浮上/
Sv,Bq,Gyって?/静岡で震度6の地震

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月16日(水)
 http://togetter.com/li/115289

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月17日(木)
 http://togetter.com/li/115282

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月18日(金)
 http://togetter.com/li/114945

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月19日(土)
 http://togetter.com/li/114940

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月20日(日)
 http://togetter.com/li/114937

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月21日(月)
 http://togetter.com/li/114931

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月22日(火)
 http://togetter.com/li/114919

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月23日(水)
 http://togetter.com/li/115269

■東日本大震災ツイートまとめ 2011年3月24日(木)
 http://togetter.com/li/115854

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2011年3月13日 (日)

地震から2日

3月11日金曜日

 僕は東京の青梅にいた。外に立っているときに揺れを感じたんだけど、そのときは大きな地震だなあとしか思わなかった。周りの人たちも少し驚いて建物から出てきてた程度で、特にパニックになることもなかったし、物が壊れるということもなかった。
 そのすぐ後にツイッターをチェックした時点では、揺れの様子をツイートするものが多かっただけで、あれほどまでに甚大な被害が出ているとは思いもよらなかった。テレビを見れない場所にいたので情報の頼りはツイッターだけだった。
 事の大きさを認識し始めたのは、@NHK_PRさん(NHK広報の公式ツイッターアカウント)がNHKのニュース映像を無許可でネット上に放映しているページのURLを、ツイートの中で紹介しているのを見たときあたりから。「私が責任をとります」というツイートは、NHK_PRさんの独断であることを物語っていた。このあたりから僕は、これは大変なことが起こっているのかもしれないと思うようになったのだった。
 
 
ツイッターの威力を感じ始める

 またしばらくしてツイッターをチェックしたら、都内の電車がストップして、しかも今日中の復旧はないという情報が得られた。帰宅難民と化したみんなが状況をツイートしている。そして、僕のTL(タイムライン)は地震関連のツイートオンリーに。
 都心からは帰宅難民のために解放された大学や商業施設などの情報が次々と上がってくる。「いまからここ開放します」「あそこの施設が開いてます」「暖かい飲み物あります」「ここは満員なのであちらへ行ってください」などなど。
 また断片的ながら、東北地方の被害も写真を交えて知った。TL上では、被害に関する情報、またこのようなときの対処の方法や心構えなどといったたくさんのアドバイスなどで埋め尽くされ、しかも次々と新しいツイートが増えていった。なんという情報の量そして速さ。
 以降、僕はツイッターを見続けながら、この日家に帰ってからもテレビのニュースとともにTLを追いかける状態になった。有益と思えるツイートを拾っては積極的にリツイートした。
 昨日や今日も、仕事の合間など手の空いた時間にTLをチェックした。
 
 
これまでにない経験

 僕にとって今回の災害は、これまであった阪神淡路大震災などとは違う。今回も僕自身は被災していないけど、とても身近なことに感じている。それはツイッターによって、ひとりひとりの生の情報が、またひとりひとりの善意の言葉がつぶさに僕の中に入り込んできたからだった。そして、僕も何かをしなければ、できることをしたい、という想いが強くなtった。
 ただ、そんな気持ちで次々と入ってくるいろいろな情報を頭の中で整理したり再発信したりしているうちに、心が疲れていることに気付いた。被災者でない人がこういう状態になることはよくあることらしい。ひどいとPTSDにもなりうるとのことだ(これもツイッターからの情報)。僕がこういう状態を経験することになるなんてな…。
 
 
息抜きも必要

 今日は、お彼岸に近いということで、離れて暮らす両親と待ち合わせてお墓参りに行ってきた。墓地の草むしりをして、お線香をあげ、ご先祖様に手を合わせたらだいぶ心が安らいだ。ああ、やっぱり疲れてたんだなって実感した。
 
 
これからのこと

 もうしばらく、事態が落ち着くまでは、今回の災害について(無理のない範囲で)ツイッターのTLを追い続けようと思う。なぜそうしたいのか。理由は、ツイッターを通じて自分が何をすべきかやどんな役に立てるかを知りたいから、というのが一つ。もう一つは、大規模災害時におけるツイッターの役割や日本人の行動について、何かが見えてきそうに思えるから。別に僕は社会学者じゃないけど、TLを見ていてそういう興味がわいてきたのだ。できればそれを何らかの形にしてまとめ、残しておきたいと今は考えている。何かの役に立つかどうかはわからないけれど。

 
一番の願い

 この危機的状況が一刻も早く落ち着いて、いつもの平和な日々が戻ることを心から願っている。

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