東京から地震で被災した宮城県までをクルマで往復してきた。「オペレーション・クルマの仲間たち」という東日本大震災支援活動にボランティアとして参加させていただいたのだ。
「オペレーション・クルマの仲間たち」はモータージャーナリストの清水和夫さんが中心となって東日本大震災発生後に立ち上げられたもの。これまで、ボランティアのお医者さんたちが被災者の家々を回って訪問医療を行うための足(=クルマとドライバー)を提供する活動を続けてきた。その活動もこの7月初めで終了を迎えることになり、前線基地を引き払うのに伴い、滞在に必要だった物資と被災地で活躍したクルマを東京に引き上げることになったのだ。僕は清水さんがブログでドライバーを募集しているのを知り、応募したところ、採用されて今回のこの任務を担当することになったのだった。
6月27日月曜日、朝7:30。スタッフの方ともう一人のドライバーと僕の3人でスバル フォレスターに乗り都内を出発。運転を交代しながら東北道をひた走る。福島県内の東北道は5月2日に走って以来だが、道がよくなっているのに気付く。あのときはクルマがボワンッと跳ぶような段差があったのだが、そんな段差はほとんどなくなっていた。どうやって直したのだろうかと思うほどだ。
13:00。東北道を築館ICで下り、前線基地となっていた宮城県栗原市のアパートに到着。
駐車場にはホンダのフィットハイブリッドがあった。
簡易ベッドや水、保存食などをフォレスターとフィットに積む。
一段落したところで栗原市内のファミレスで昼食。内陸部にあるこのあたりは全く地震の被害などが見当たらない。ごく普通の生活がある。
昼食後、フォレスターとフィットに分乗し、被災地視察に向かう。女川まで行ってみることにする。
一般道を南下。登米市のあたりに来ると、ところどころ道が荒れている。降り続く雨で大きな水たまりもあった。こういう道ではフォレスターのようなクルマはとても頼もしい。それ以外に震災の被害らしきものは、お地蔵さんが倒れていたのと、潰れたたくさんのクルマが集積されているのを見かけたくらいだった。
三陸自動車道に入り、石巻へ南下。スタッフの方の話によればここまで津波は来ていたのだそうだ。ニュースで見た高台の自動車道というのはこの道路だったようだ。道路から平野が見下ろせる。しかしほとんどきれいになっていて、被害を想像するのは難しい。遠くの方にうずたかく積み上げられた瓦礫がわずかに被害を物語っている程度。実際のところは浸水して住めなくなった家もあるのだというが。
三陸自動車道を下り、石巻市街に入る。ここも以前は瓦礫がいっぱいあったそうだ。しかしその面影はまったくと言っていいほど見当たらない。普通にお店も開いているし、クルマも走っている。少し違うといえば、女川方面から自衛隊の車両が何台もやってきていたこと。みな、復興支援の車両だった。
写真は「がんばろう!石巻」の大きなメッセージを掲げていたのが印象的だったドコモショップ。
市街地から離れ仮設住宅が並ぶ一角を見つつ、JR石巻線に沿って女川を目指す。石巻線は石巻-女川間が運行休止中。線路を補修している場面を見かけた。
少し高台になった場所から下っていくと、突然目の前の風景が変わった。そこに広がっているのは荒廃した灰色の風景。その中に僕らは入っていった。なにか非現実の世界にやってきたかのような、胸を締め付けられるような感覚。テレビなどで見てはいたが、その場所に自らの身を置くというのは全く違う。
言葉が出ない。
むき出しになった鉄骨とボロボロの外壁。横倒しになった建物。「旅館」と書かれた建物もあった。津波が来る前は観光客で賑わっていたのだろうか。
女川港の手前で高台に上がってみた。そこには町立病院があった。さすがにここは被害を免れたのかと思いきや、津波はここまで来たのだという。言われてみれば、この案内板などはへし折れている。津波の高さは想像を絶している。
駐車場から港の方を見下ろしてみた。その景色をパノラマ合成したのがこの写真。左に見えているのが女川港だ。
もう一枚。1枚目の場所よりも少し右の方から見た景色である。正面奥と右奥は高台になっていて、津波に飲まれた家と助かった家との境が見て取れる。
瓦礫はかなり片付けられているとはいえ、衝撃を受けずにはいられない光景。
ここには街並みがあって、人々の生活があったはずなのだ。それが一瞬にして…。
僕らは港の方へ行ってみることにした。道路は仮設のものなのか、砂利道でかなりデコボコしている。(写真は反対方向を映したものだが、道路はこういった感じである。)ダンプカーが多く行き来していた。
港のはずれにクルマを停め、少しだけ歩いてみた。津波に飲まれたクルマがまだこうして残されていた。こういう無残な姿を見るのは心が痛い。
現地には独特のにおいが漂っている。潮のにおいの他に木や何かの腐ったようなにおいと、何かわからないいろんなにおいが混ざっている。これは現地に行ってみなければ感じられないものだ。
時刻は16:30。帰路につくことにした。三陸自動車道の鳴瀬奥松島ICでは料金所渋滞が発生。被災者は無料で通行できるが許可証を提示しなければならない。そのため一般レーンが渋滞するのだ。僕らも支援車両ということで許可証を提示するために一般レーンに並んだ。三陸自動車道は料金所を出てからもところどころノロノロ渋滞だった。
23:30、東北道を順調に走行し東京に到着。無事に任務完了。責任を果たせてホッとした。
わずか一日だったけど、被災地支援活動のお手伝いができてよかった。被災地の現状も部分的ながらも知ることができた。被災地はいま、元の生活を取り戻しつつある場所と、いまだ大きな傷跡を残す場所がある。それを自分の目で確かめたことの意義は大きかったと思う。またスタッフの方からは被害についてや、ボランティアのあり方についてなど、道中いろいろなお話が聞けた。
地震発生から3ヶ月以上が経ち、求められる支援も変化してきていると思う。自分になにができるのか、今後も考えていきたい。
■リンク
Facebook|東日本大震災支援活動「オペレーション・クルマの仲間たち」モビリティ21
http://www.facebook.com/m21kurumanonakamatachi
【みんカラ】頑固一徹カズです!|清水和夫公式ブログ
http://minkara.carview.co.jp/userid/360795/blog/
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